未曾有の被害をもたらした東日本大震災。
橋は落ち、道はがれきで埋もれ、太平洋沿岸の街は孤立しました。
地震発生直後の救命・救援ルート確保、地域支援や応急復旧を行った東北地方整備局の東北地方整備局の取り組みを紹介します。
震災概要
1.地震発生津波来襲
平成23年3月11日14時46分マグニチュード9.0の地震が発生。
発災37分後、仙台空港から防災ヘリ「みちのく号」を緊急発進しました。
そのわずか数分後に、仙台空港は津波にのみ込まれ、まさに間一髪。
その後、防災ヘリ「みちのく号」から送られてくる被災や津波のライブ映像は、今後の対策の早期判断の材料になりました。
2.啓開
発災翌日から、とにかく車が通れるだけのルートを切り啓く「道路啓開」(「くしの歯」作戦)を実行しました。
余震や津波の再襲来の危険がある中、建設会社の現場責任者と道路管理者は、使命感と地域を思いやる心から啓開作業を決意し、啓開作業にあたりました。
さらに、ご遺体の措置に当たった自衛隊、警察、県市町村の関係機関との連携により早期に道路啓開を完了できました。
3.被災地支援
発災当日から被災地に派遣されたリエゾン(災害対策現地情報連絡員)は、首長のニーズを詳細に把握し、首長の片腕として、あらゆる物資の調達、調整の橋渡し役も担いました。
『全て任す。とにかく人命最優先に、国の代表と思ってあらゆることをやってくれ』という国土交通大臣の命を受けて、被災地には、市役所の代わりになる仮設ハウス、燃料から日用品、生理用品まで、およそ通常業務を超えた調達でした。
4.応急復旧
2日目から現地で被災状況調査を開始しました。
そして、災害時の特定である「緊急随意契約」により速やかに工事契約し、地元建設業等の協力により復旧を実施しました。
岩手県陸前高田市の国道45号気仙大橋は、仮橋を120日の予定工期に対して、61日で完成させました。
また、大きな被害を受けた宮城県大崎市の江合川堤防など、内陸部の河川堤防も出水期に入る前に緊急復旧を完了させました。